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大正13年9月1日、中間町制(人口14,605人)が施行されました。
中間町は、昭和初期から石炭産業で発展する基礎を築き、以後の石炭増産に伴い人口は急増しました。
これに併せて、石炭産業の発達とともに石炭採掘による鉱害が発生、このために町民は、井戸水の枯渇と水質の悪化から飲料水に難儀し、また伝染病にも脅かされる状況でありました。この悪状況を解決するために、昭和5年に上水道の布設を計画、昭和6年10月21日より創設工事に着手、昭和8年2月19日通水を開始し、昭和9年3月竣工しました。同年12月末日当時の唐戸浄水場の給水能力は、1,800立方メートル/日で、また水道普及率は約60%でありました。
その間行政は、昭和7年3月1日遠賀川西部地域の底井野村と合併を行い、現在の市域を形成し、この合併により人口は急増、昭和7年12月末日現在の人口は22,125人となりました。
水道事業も第1次拡張工事により、昭和10年1月遠賀川西部の垣生地区に給水を開始。翌11年11月第2次拡張工事を行い、唐戸浄水場の急速ろ過池を増設しました。更に石炭増産に伴う水需要の増加により、第3次拡張工事として昭和18年3月唐戸浄水場の大規模な拡張を行いました。その結果、給水能力が7,000立方メートル/日に増加しました。
その後も、給水区域が町内全域に拡大、人口も増加したことから、昭和28年2月より第4次拡張工事を着手、昭和36年2月に竣工しました。この工事により、給水能力は13,000立方メートル/日に増加しました。
その間、国の石炭増産政策のもと人口は急増し、昭和33年11月1日に市制が施行されました。当時の人口は、45,194人でありました。
しかし、その後は石炭産業も斜陽化し炭鉱の閉山が相次ぐ中で、中間市は北九州市(当時八幡市)の衛星都市として住宅団地の開発を促進することとなり、将来の水道需要増加に対応するため、昭和36年1月第5次拡張工事に着手、昭和43年3月竣工、この工事により給水能力は18,500立方メートル/日に増加しました。この拡張で隣接町遠賀町、水巻町、鞍手町木月・上木月地区に分水。
更に、通谷団地の宅地造成規模の拡大・川西地区工業団地造成等により水需要量増加に対応するため、昭和44年4月第6次拡張工事に着手、昭和53年3月竣工、この工事により給水能力は19,700立方メートル/日に増加しました。また、水質汚濁防止法に基づく浄水場排水処理施設を設置しました。
昭和46年5月遠賀町虫生津地区を除く遠賀町水道事業を併合し、同町を中間市水道事業の給水区域としました。(第7次拡張工事)
昭和49年6月遠賀町虫生津地区を給水区域に編入し、鞍手町木月・上木月地区を給水地区より除く、これにより給水区域は中間市の行政区域及び遠賀町の行政区域となりました。(第8次拡張工事)
昭和52年10月、都市基盤の整備に伴い給水人口の増加に備え、第9次拡張工事に着手、この工事で浮州池を水源とする西部浄水場を新設。また、遠賀川水系の生活排水に起因する水質汚濁に対処するため、回転円板法による生物処理を採り入れ、唐戸浄水場及び西部浄水場に生物処理装置を設置しました。
第9次拡張工事の結果、給水能力は唐戸浄水場及び西部浄水場を合わせて32,600立方メートル/日に増加、水道普及率は中間市及び遠賀町ともに、ほぼ100%に達しました。
平成12年度、老朽化が進む唐戸浄水場の施設改良工事に着手し、平成15年3月に竣工。これにより、今後も安定した水資源の確保や安全でおいしい水づくりが可能となりました。
今日まで様々な施設改良を行い、安心で安全な水の提供することで、住民の方々の信頼にこたえて来ました。今後も住民の方々の水道に対する要望は更に高くなることを鑑み、水質改善等のために新たな施設改良が求められています。
年月 | 沿革 | 遠賀川 | 浮州池 | 合計 |
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昭和7年3月 | 中間町と底井野村と合併 | |||
昭和8年2月 | 中間町給水開始 | 1,800 | 1,800 | |
昭和10年7月 | 第1次・第2次拡張事業認可 | 3,000 | 3,000 | |
昭和14年12月 | 第3次拡張事業認可 | 11,500 | 11,500 | |
昭和32年7月 | 第4次拡張事業認可 | 13,680 | 13,680 | |
昭和33年11月 | 中間市制施行 | |||
昭和37年3月 | 第5次拡張事業認可 | 19,260 | 6,000 | 25,260 |
昭和44年1月 | 第6次拡張事業認可 | 20,700 | 6,000 | 26,700 |
昭和46年5月 | 中間市水道と遠賀町水道合併 | |||
昭和46年5月 | 第7次拡張事業認可 | 20,700 | 6,000 | 26,700 |
昭和49年9月 | 第8次拡張事業認可 | 20,700 | 6,000 | 26,700 |
昭和51年12月 | 第9次拡張事業認可 | 20,700 | 20,200 | 40,900 |
昭和53年8月 | 福岡大渇水 | |||
昭和55年10月 | 第9次拡張事業変更認可 | 20,700 | 20,200 | 40,900 |
昭和56年6月 | 西部浄水場高度浄水処理施設稼動 | |||
昭和57年4月 | 料金改定 | |||
昭和59年3月 | 第9次拡張事業変更認可 | 20,700 | 20,200 | 40,900 |
昭和59年4月 | 唐戸浄水場高度浄水処理施設稼動 | |||
平成元年4月 | 石綿管更新事業 | |||
平成6年8月 | 日本列島大渇水 | |||
平成15年3月 | 唐戸浄水場大規模改造 | 20,700 | 20,200 | 40,900 |